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2007/12/28

蘇れ!メンズ・ファッション どう掘り起こす、埋もれたチャンス

メンズウエア市場には、まだ埋もれた消費が1兆円はある、というのが筆者の見解である。とくに中高年を対象にした分野は、その多くが手つかずの状態になっている。この未開拓分野に、どうメスを入れていくか。さらには感性消費が常態化する中で、世界発信ができるメンズ・ファッションを、どう育んでいくか。市場活性化に向けた課題は山積している。
 まず、消費者へのアプローチでは、これまで何度も述べてきたように、“買わない男性”の撲滅をはかる。これが至上命題である。先進国のなかで、アパレル消費を他人任せにするのは日本ぐらいである。これが服装音痴を増殖させ、さらにはメンズウエアを価格競争に走らせている。
 たしかにファッション商品には、必需品と奢侈品とがあって、最近は生活パーツとしてのファッションが見直されているが、それでもファッションから趣味趣向が消えてしまったわけではない。最近のスーツはワークウエアと同義語になりつつあるが、だからといってワークウエアが機能一点張りでいい、ということにはならない。
 アクティブ・スポーツウエアが運動機能だけでなく、メンタル機能としてデザインのもつ重要性が付加されているように、ビジネスマンのワークウエアにしても、メンタル部分の機能開発が欠かせない。しかし、そのことを理解するビジネスマンは少数派であり、圧倒多数は「おかしくなければいい」と決め込んでいる。こうした図式を変えなければ、日本のビジネスウエアは発展しない。
 一方、消費者とは別に、メンズアパレル業界が抱える問題は、何といっても感性消費への対応にある。「ミリメーター・チェンジ」に代表されるように、メンズウエアには物理的な精密性が求められ、この物性を抜きにしての感性化はむずかしい。だが、この物的有用性を極めたうえでの感覚有用性の開発は急務である。
 一部のメンズアパレル企業では、新進デザイナーを起用して“感性型メンズ”を打ち出す例があるものの、大半はブランド戦略すら後手に回っているのが実情である。かつて東京コレクションで話題となったメンズのDCブランドも、最近はめっきり減ってしまった。
 90年代になってからのメンズウエアは、ロードサイド専門店によるスーツとカジュアルウエアの格破破壊によって、市場全体がプライスに振れている。非価格競争で元気がいいのは、欧米のセレブ系ブランドぐらいで、国内ブランドに精彩がない。
 この状況を一言でいうなら、メンズアパレル業界における「MD喪失症候群」といえる。マーチャンダイザーやバイヤーの自信喪失が、市場回復のエネルギーを奪ってしまった。では、どうやってMD回復をはかるのか……。
 そのための第一歩は、MDやバイヤーにかぎらず、すべて業界人がファッションとの距離を縮めることにある。「メンズウエアは、ここが面白い!」「メンズ・ファッションの奥義はこれだ!」…こうした意識が市場に共鳴する。ファッション意識の改革、いまメンズ・ファッションは、業界と消費者の双方にこれが求められている。
 メンズウエア市場には、まだ埋もれた消費が1兆円はある、というのが筆者の見解である。とくに中高年を対象にした分野は、その多くが手つかずの状態になっている。この未開拓分野に、どうメスを入れていくか。さらには感性消費が常態化する中で、世界発信ができるメンズ・ファッションを、どう育んでいくか。市場活性化に向けた課題は山積している。
 まず、消費者へのアプローチでは、これまで何度も述べてきたように、“買わない男性”の撲滅をはかる。これが至上命題である。先進国のなかで、アパレル消費を他人任せにするのは日本ぐらいである。これが服装音痴を増殖させ、さらにはメンズウエアを価格競争に走らせている。
 たしかにファッション商品には、必需品と奢侈品とがあって、最近は生活パーツとしてのファッションが見直されているが、それでもファッションから趣味趣向が消えてしまったわけではない。最近のスーツはワークウエアと同義語になりつつあるが、だからといってワークウエアが機能一点張りでいい、ということにはならない。
 アクティブ・スポーツウエアが運動機能だけでなく、メンタル機能としてデザインのもつ重要性が付加されているように、ビジネスマンのワークウエアにしても、メンタル部分の機能開発が欠かせない。しかし、そのことを理解するビジネスマンは少数派であり、圧倒多数は「おかしくなければいい」と決め込んでいる。こうした図式を変えなければ、日本のビジネスウエアは発展しない。
 一方、消費者とは別に、メンズアパレル業界が抱える問題は、何といっても感性消費への対応にある。「ミリメーター・チェンジ」に代表されるように、メンズウエアには物理的な精密性が求められ、この物性を抜きにしての感性化はむずかしい。だが、この物的有用性を極めたうえでの感覚有用性の開発は急務である。
 一部のメンズアパレル企業では、新進デザイナーを起用して“感性型メンズ”を打ち出す例があるものの、大半はブランド戦略すら後手に回っているのが実情である。かつて東京コレクションで話題となったメンズのDCブランドも、最近はめっきり減ってしまった。
 90年代になってからのメンズウエアは、ロードサイド専門店によるスーツとカジュアルウエアの格破破壊によって、市場全体がプライスに振れている。非価格競争で元気がいいのは、欧米のセレブ系ブランドぐらいで、国内ブランドに精彩がない。
 この状況を一言でいうなら、メンズアパレル業界における「MD喪失症候群」といえる。マーチャンダイザーやバイヤーの自信喪失が、市場回復のエネルギーを奪ってしまった。では、どうやってMD回復をはかるのか……。
 そのための第一歩は、MDやバイヤーにかぎらず、すべて業界人がファッションとの距離を縮めることにある。「メンズウエアは、ここが面白い!」「メンズ・ファッションの奥義はこれだ!」…こうした意識が市場に共鳴する。ファッション意識の改革、いまメンズ・ファッションは、業界と消費者の双方にこれが求められている。

2007/12/27

蘇れ!メンズ・ファッション メンズに少ない専門教育

 ファッションビジネスにおける男女格差は、先進国の中でも日本は突出している。誰がみても、小売店の店舗数や販売額に3倍もの差があるのは異常である。そして、さらに深刻なのが人材育成で、ここでの男女差は3倍どころか100倍以上の差になっている。そのぐらいメンズ・ファッションを教える学校が少ない。
 かつて日本が繊維王国といわれた時代には、全国各地の大学に「繊維学部」が存在した。ところが繊維産業が斜陽化すると、多くの大学が繊維学部を廃止し、いまでは二つの国立大学に名をとどめるだけの状態になってしまった。
 ただ、それもアパレルや小売業向けの教育になると話は別で、ファッションビジネスを教育する専門学校は、数でいえば日本は世界一。大小合わせると500~600校にのぼる。これほどの“ファッション・カレッジ”をもつ国は、日本をおいてない、というのも事実である。
 ところがメンズファッション業界にとっての問題は中身で、圧倒多数の専門学校が“婦人科”で成り立っている。かつて家庭洋裁を教える教育機関として出発しただけに、メンズ・ファッションを教える学校が極端に少なく、それが100倍以上の開きにつながっている。
 最近はファッションの男女差が縮まってきたとはいえ、デザインをはじめパターンや製造方法には、メンズウエアならでは技術が多い。とくにテーラードウエアやシャツのように、精密性が要求されるメンズウエアの技術は、専門教育が欠かせない。
 それでいながら現実は、企業に入ってからOJTで教える、というパターンが多い。レディスファッションは基礎から学べるのにメンズファッションにそれがない、というのはアンバランスである。
 ここは、小売業を含めたメンズ・ファッション業界が、専門学校に働きかけ、それこそ産学協力によって“男性科”増設に注力すべきである。これだけ人材育成が叫ばれているのに、いまだにその働きかけがない、というのも不思議なことである。

2007/12/26

蘇れ!メンズ・ファッション もう一度「ビジカル」開発を

 日本のメンズウエア市場は、カジュアル化が進展しているとはいえ、まだまだビジネス用途で買われるケースが多い。もっといえば、何らかのモチベーションが働いたとき、男性の消費は盛り上がる。購買目的をオン・デューティとオフ・デューティに分ければ、前者に比重がかかるのが男性消費の特徴である。
 そのビジネスシーンで主役を占めるのがスーツである。先進国のなかで日本のスーツ消費が突出していることは、前にも述べた。
 ちなみに日本なの男性人口は約6000万人。このうち社会人の対象となる20歳から64歳までの人口は約4000万人になる。そこでスーツ供給量の1000万着を4000万人で割ると、4人に1人が買わなければ余ってしまう勘定になる。現実には4000万人の社会人のうち、スーツを常用するのは多くて半分。だとすれば、この供給量は供給過剰になる。
 人口が日本の2倍以上になるアメリカでは、すでにスーツの消費量が800万着ぐらいに減っている。これを日本の人口に置き換えれば年間400万着というのがアメリカの消費水準であり、これをみても日本のスーツ消費はすこぶる高い。
 今後、日本がアメリカのようになるかどうかは気になるところだが、それとともに考えなければならないのがビジネスウエアの開発である。カジュアル・フライデーが話題になった頃は、日本でも“仕事用のカジュアルウエア”が論議されたが、最近はトーンダウンしてしまい、関心が薄れてしまった。
 しかし、カジュアル・フライデーとは別の世界で“仕事用のカジュアルウエア”へのニーズが確実に増えている。いわゆるホワイトカラーのノーネクタイ族といわれる分野で、この人たちのビジネスウエアが開発されずにいる。
 いまから20数年前、西武百貨店は「ビジカル」というコンセプトを発表し、多くの関心を集めた。マスコミや芸能、音楽、美術などといった業界には、管理職のポストに就きながら、ネクタイとは無縁のビジネスマンがいる。外見はカジュアルなスタイルながら、彼らにも職業上のステータスがあり、それなりの品位が求められる。
 そうした状況に着目した西武百貨店は、カジュアルなデザインながら、ビジネスシーンに対応できる商品を開発した。それが「ビジカル」というコンセプトだった。スーツ族ならエグゼクティブになれば10万円以上のスーツを購入する。洋の東西を問わず、外見にステータスを求めるのがビジネス社会である。
 だが、ノーネクタイのエグゼクティブには、オフ・デューティ用に開発されたカジュアルウエアしか見当たらない。ステータスのある高級ブランドでも、ビジネスシーンを意識したカジュアルウエアは少ない。もしあるとすれば、着用シーンを特定しないでつくられたデザイナーブランド、これが数少ないビジカル対応商品なのかもしれない。

2007/12/24

蘇れ!メンズ・ファッション メンズウエアのブランドバリュー

 女性に比べると男性のほうがブランドに左右されやすい。最近でこそ、女性の有名ブランド志向が注目されるようになったが、ブランドの歴史をさかのぼると、ブランドビジネスは男性の支持によって大きくなった、といえる。
 そのことは時計の「ロレックス」やライターの「ジッポ」、オートバイの「ハーレー」の存在が証明している。書店に並ぶ「世界の一流品図鑑」の多くは、男性をターゲットに企画されたものである。
 ここに、ブランドがもたらす男女の違いを示したデータがある。日本衣料管理協会が調査したアパレル商品の購入動機がそれで、既婚の男女を対象に行った調査データによると、購入動機の上位は次の通りである。
       男性  (1997年調査)
 1位  趣味感覚に合う(34%)
 2位  サイズが合う (21%)
 3位  着て良く似合う(12%)
 4位  価格が手頃  (11%)
 5位  ブランドが良い( 9%)
       女性
 1位  趣味感覚に合う(43)
 2位  着て良く似合う(16%)
 3位  品質が良い  (14%)
 4位  サイズが合う (13%)
 5位  価格が手頃  ( 8%)
 ここで興味深いのはトップにあげられた「趣味感覚に合う」という理由が、男女間に10ポイント近くもの差が生じたことで、ファッションに対する趣味の実感は男性ほうが劣っている。
 さらに注目されるのが男性の5位にランクされた「ブランドが良い」という項目で、ちなみに女性の回答をみると、こちらは7項目の最下位、数値にして2%に満たない状況である。この調査では女子大生の購入動機も付記されているが、ここでも「ブランドが良い」は6%と数値は高いが、7項目の中で最下位にランクされている。
 このデータで考えられることは、総じて男性はブランドバリューに弱い、ということ。その一方で、こうも考えられる。ここで回答したのは女子大生の父親であり、年齢的にみれば40代後半の世代である。ファッションを自分で買わず、妻任せにする世代だけに、もともとファッションには無頓着。ファッションが分からないから、ブランド志向に走ってしまう、という見方もできる。
 だが、後者の要因が強いとしても、一連の消費をみていると、男性のほうがブランド志向になりやすい。ファッションへの関心とは別に、ブランドがもつ神話に共鳴しやすい体質をもっている。そのことは冒頭の状況が示している。
 だとすればメンズウエアは、もっとブランドにこだわる必要がある。現在、メンズウエアのブランドといえば、その多くが有名ブランドとのライセンス商品である。知名度の高い国産ブランドは数えるほどしかない。ブランドのストーリー開発に着手し、その共鳴者を増やしていく。そんな努力がメンズウエアには不可欠である。

2007/12/21

蘇れ!メンズ・ファッション セレクトと品揃え

 最近はどうか分からないが一時期、学生の人気職種としてセレクトショップのバイヤーがクローズアップされた。それも欧米の輸入品を集めたインポートショップのバイヤーになりたい、という学生が多いらしい。
 世界を飛び回り、自分の感覚で商品を買いつける。そのことが、どれだけ大変な仕事かはともかく、学生にとっては魅力的な職業に映るようだ。だが、そのセレクトショップが拡大解釈されている、という意見がある。「品揃え」と「セレクト」の言葉が混同して使われている、というのである。
 例えば、チノパンツを買い付けるとき、気に入ったブランドをチョイスする。この状態はセレクトそのものである。だが、目にとまったチノパンツのデザインは一つしかない。後は売れるかもしれないが、バイヤーを感動させるものではなかった。
 セーターに例えれば、バイヤーが注目したのは、濃紺のフィッシャーマン・タイプだけだった。それ以外にも色数があったが、バイヤーにとっては、この濃紺が一押し。もちろん、ほかのデザインだって仕入れて損はない。そこそこ売れる感触がある。
 このとき、どんな決断を下すか。ここで「セレクト」と「品揃え」が分岐する。前者の考えでいけば、気に入ったアイテムしか買い付けない。ブランドに惑わされず、あくまで単品に的を絞る。だが、この路線で仕入れると、時間と労力は何倍にもなる。
 一方、多くのセレクトショップはブランド優先で揃えている。新進気鋭のデザイナーブランドに注目すると、そこでは代表的なアイテムをチョイスする。単品の魅力よりも、ブランド・イメージを重視する。ただ、これは厳密にいうと「品揃えの発想」というのが、先の指摘である。
 モノの魅力を突き詰めていけば、単品の力がセレクトショップの生命線である。単品にこだわり、単品がもつストーリーに共鳴する。セレクトショップは増えても、こうした考えを貫く店は少ない。いま一度「セレクト」を吟味してはどうだろう。

2007/12/20

甦れ!メンズ・ファッション カジュアルの中身を再考する

 考えてみればメンズ・ファッションは、もう何十年も前から「フォーマル」と「ビジネス」「カジュアル」で分類されてきた。そして時代はカジュアルに向かっており、フォーマルはともかく、ビジネスウエアのシェアは確実に漸減しているのが実情である。
 しかし、これはアイテムの話であって、購入目的がカジュアルに集中しているのか、といえば疑問である。デザインをみれば確かにカジュアルなものが増えている。だが、その用途がオフ・ビジネスなのか、といえば、必ずしもそうではない。
 例えば男性の通勤着をみても、すべての人がスーツを必要としない。職場にユニフォームがある場合は、ノーネクタイで通勤するほうが多い。この人たちにとっても、そのスタイルはオン・ビジネスである。自宅に戻れば普段着に着替えるはずだからである。
 また、こうしたケースも考えられる。目的がビジネスではないにしろ、あらたまった気持ちでカジュアルウエアを着ることだってある。プライベートなパーティに出かけるとか、クラブで遊ぶときなどは、アイテムはカジュアルでも、気分はフォーマルに近い。
 つまり、カジュアルアイテムの用途を細かくみれば、そこには歴然としたTPOが存在する。このTPOに応じて着分けているのに、業界のアプローチは「カジュアル=くつろぎ」に固まってしまう。ビジネスとカジュアルを対極的にとらえられることが多すぎる
 アイテムがもつ機能という点でみるならば、時代はまちがいなく軽装化しており、カジュアルアイテムのシェアが広がっている。しかし、だからといってオケージョンまでがカジュアルになっているわけではない。
 カジュアルウエアにも、フォーマルな場面があり、ビジネスシーンがある。また、オフ・ビジネスの場面にしても、そこでの世界は多様である。それはアウトドアとかインドアといった単純な図式ではない。
 もし、カジュアルシーンをセグメントするなら、それは気分のセグメンテーションなのだろう。もはや、アイテムだけで「ビジネス」と「カジュアル」と決めつけるわけにはいかなくなった。

2007/12/18

蘇れ!メンズ・ファッション 男のドレスコードを再考


 時代の流れを考えれば、ファッションは確実にカジュアル化に向かっている。カジュアル・フライデーが定着したかどうかはともかく、ビジネス社会においても“着ていて楽”が潮流になっている。
 だが、その一方でドレスコードの復活を望む声が強まりつつある。カジュアル・フライデーを生んだアメリカでは、ビジネスウエアの乱れを危惧する経営者が増えている。金曜日にかぎられた“ビジカル”(ビジネス・カジュアル)が拡大し、業種によってはエブリデーカジュアルに発展。こうした動きに眉をひそめる経営者が、ドレスアップ・デーを提案しはじめた、というのである。
 かつて日本でもTPOが叫ばれ、これがドレスコードのバイブルになった。ところが最近は,このTPOも自然消滅し、ノンルールの状態が続いている。しかし、もともと西洋服の歴史が浅い日本では、洋服のドレスコードが定着しない状態で、今日のノンルール社会を迎えてしまった。
 その一例が地方議会での混乱である。ネクタイ着用の是非をめぐって議員が締め出されたり、議会で上着を脱いだりしただけで懲罰規定が云々される、といった“事件”がマスコミをにぎわした。これなどもドレスコードの乱れが主因になっている。
 ファッションのカジュアル化は避けられない時代の流れだとはいえ、欧米では厳然としたドレスコードが存在する。ロンドンやニューヨークの金融街では、いまでもビジネスウエアに茶系を認めない、という風習が残っている。「茶系はカジュアルだから……」というのが理由である。
 オフタイムにドレスコードが必要とは思わないが、オフィシャルな場における服装には、最低限のマナーが求められる。だが、現実はビジネススーツに白のソックスを履いていたり、昼間にタキシードを着ていたりするなど、グローバルスタンダードから逸脱したスタイルが目立つ。
 そんなことも業界が責任をもって正していかなければいけない。服装の基礎がドレスコードだとすれば、この基礎が確立して初めて“崩し”が成り立つ。いわゆるウエアリングの応用編ということになるが、その基礎が固まらないまま、ノンルール・ファッションが広がってしまった。生活文化提案型産業として、もう一度ドレスコードを洗い直す、というのも産業界の課題、と思うのだが……。

2007/12/13

蘇れ!メンズ・ファッション 体形の欠点解消法

 男のお洒落は自身を知ることから始まる、という格言がある。自分の体形を無視して流行に走れば、そこには思わぬ落とし穴が待ち受けている。顔の大きさと形、首の太さや長さ、怒り肩に撫で肩、痩身と肥満、長足と短足、0脚やX脚……男にかぎらず標準体形の人間は少数派である。
 これまでも述べてきたように、メンズウエアは「ミリの世界」が集大成した構造物である。それぞれのディテールが1㍉変わっただけで、服の表情が変化する。表情だけでなく、余計な皺(しわ)ができたり、シルエットそのものが崩れたりもする。
 だが、その服を着る人間の体形を考えれば、その種類はミリどころかセンチの差異が生じている。もちろん、パターンを製作するにあたっては、多少の体形差が考慮されているものの、体形上の“欠陥”を解消するにはオーダーメードしかない、というのが実情である。
 しかし、これも服の選び方やコーディネートで解決できる例が少なくない。昔から言われるのは、太った人にはボーダー柄は禁物、逆に痩せた人にはストライプが不向き、というルールである。このような“体形対応ルール”もしくは“体形欠陥解消法”が、もっと真剣に論議されてもいい。
 かつてジーンズで立体裁断による新しい技法が話題を呼んだが、こうした開発はメンズアパレル業界が先行してしかるべきである。それにもかかわらず、体形欠陥に対しては放置したまま、という状態が続いている。
 靴の世界にはフィッターの資格制度があり、足の形状を診断したうえで、ジャストフィットの靴を提供する。これと似た制度がアパレル業界にも欲しい。
 年齢を問わず自分の体形に悩みをもつ人が多い。生活提案産業とは、こうした悩みを解消するために、技術やサービスの開発に注力する。これこそがライススタイル産業の“マーケット・イン”の姿である。業界共有のサービスとして、是非とも高度なフィット技術を開発してもらいたい。

2007/12/12

蘇れ!メンズ・ファッション “装楽”を体感する


以前、朝日新聞の投稿欄に、定年退職した男性からの一文が掲載されていた。会社を辞めて悠々自適の生活を送っている男性が、服装がもたらす心理変化を実感した、という話である。
 スーツにネクタイ姿でサラリーマンを過ごしてきた男性が定年後、カジュアルな服装になって驚いたのは、それまで気付かなかった色の世界だった。地味な色柄のビジネスウエアにはない、カラフルなカジュアルウエアを着ているうちに、色の楽しさを実感したのだという。
 これと似た話は、ほかにもある。ある時、首都圏の市役所から講演依頼を受け、男性ファッションについての話をした。受講者の平均年齢は60歳を越えており、その人たちにメンズ・ファッションを語る、という冷や汗が出るような講演会である。
 講演が終盤にさしかかり「皆さんの中で、ご自分で服を買っている人は?」と聞いてみた。すると、40人あまりいた受講者のほとんどが「妻が買う」という状況。自身での購入はゼロだった。
 そこで受講者の人たちに、次のような提案をした。
 「靴下でも、ベルトでもいいから、自分で選んで買ってみてください。そうすると、靴下一つでも、皆さんの想像以上に種類が沢山あり、選ぶのに迷うはずです。そして、自分で買った靴下が、とても気になることに気付くはずです。それがファッションの第一歩なんです」
 それから数日経ったある日、受講者の一人から手紙が届いた。言われた通り、自分でシャツを買ってみると、確かに商品が多すぎて迷ったし、いざ着る段になると、心配になった。派手過ぎるのではないか、と気になったが評判は上々。手紙は「こんなに楽しいこととは思わなかった」と結んである。
 どちらも服には無頓着だった男性が、ファッションに目覚めた心境を語る、興味深い事例である。ファッション教育とは、業界人もさることながら、こうした男性への啓蒙を含まれている。これも市場掘り起こしのヒントになる。

2007/12/11

蘇れ!メンズ・ファッション 新感覚のシニア・カジュアル

 男性のシニアとは、何歳から始まるのか分からないが、とりあえず50歳を越えたあたりと仮定すると、このゾーンのカジュアルウエアが旧態依然としている。かつてアイビーブームを支え、ニューシーン・メーカーとして君臨した団塊の世代も、すでに“還暦”の仲間入り。だが、その団塊の世代の「買い場」が未整備のままである。
 団塊の世代といえども、その実態は圧倒多数が“ただのシニア”である。かつて新市場開拓に貢献した消費パワーは、かなり衰えている。それが証拠に、筆者の周囲を見渡しても、自分で服を買っている友人は少数派である。残念ながら奥さん任せのほうが多い。
 このため、これからの提案は、団塊の世代でも少数派の要望、ということになる。とはいえ「高齢新人類市場」を考察するに当たっては、イノベーター(革新者)とアーリーアダプター(初期採用者)のニーズは重要であり、これがマジョリティ(追随者)に大きな影響を与える、というのはマーケティングのイロハである。
 さて、そのシニア市場のイノベーターとなる団塊の世代は、これまで「ヤング・アット・ハート」で通してきた。ジーンズにしても、チノパンツにしても、自身の年齢を無視するかのごとく、若づくりのスタイルを踏襲した。
 しかし、それも60歳を越えると限界を迎え、勢い込んで売り場にいっても、サイズが合わなかったり、デザインが不似合いであったり、クオリティに不満を感じる……という状況が目立ちはじめる。
 しかし、だからといって既存のシニア売り場を認めるわけにもいかない。ちょっと目を引くデザインだと、所得が倍増したかのような価格になってしまう。「シニアは高級品を着ろ!」という論理は、ビジネスシーンならともかく、カジュアルには通じない。
 ヤング売り場と同じとはいわないが、もっとテイストや価格に柔軟性があっていい。パターンにしても、ちょっと崩れた体形を“美しく”は贅沢だとしても、スマートにみえる工夫がほしい。
 いわば、シニア・ファッションにもコンテンポラリーなトレンドを取り入れ、それでいて幅のあるグレードを揃えてもらいたい。そうでなければ、シニアマーケットのイノベーターまでもが、ファッションから遠ざかってしまう。高齢新時代が叫ばれるだけに、メンズ・ファッションでもニューマーケットとなるシニア・カジュアルを、シニアの目で開発してほしい、と切望する。

2007/12/10

蘇れ!メンズ・ファッション 混乱するセレクトと品揃え

 最近はどうか分からないが一時期、学生の人気職種としてセレクトショップのバイヤーがクローズアップされた。それも欧米の輸入品を集めたインポートショップのバイヤーになりたい、という学生が多いらしい。
 世界を飛び回り、自分の感覚で商品を買いつける。そのことが、どれだけ大変な仕事かはともかく、学生にとっては魅力的な職業に映るようだ。だが、そのセレクトショップが拡大解釈されている、という意見がある。「品揃え」と「セレクト」の言葉が混同して使われている、というのである。
 例えば、チノパンツを買い付けるとき、気に入ったブランドをチョイスする。この状態はセレクトそのものである。だが、目にとまったチノパンツのデザインは一つしかない。後は売れるかもしれないが、バイヤーを感動させるものではなかった。
 セーターに例えれば、バイヤーが注目したのは、濃紺のフィッシャーマン・タイプだけだった。それ以外にも色数があったが、バイヤーにとっては、この濃紺が一押し。もちろん、ほかのデザインだって仕入れて損はない。そこそこ売れる感触がある。
 このとき、どんな決断を下すか。ここで「セレクト」と「品揃え」が分岐する。前者の考えでいけば、気に入ったアイテムしか買い付けない。ブランドに惑わされず、あくまで単品に的を絞る。だが、この路線で仕入れると、時間と労力は何倍にもなる。
 一方、多くのセレクトショップはブランド優先で揃えている。新進気鋭のデザイナーブランドに注目すると、そこでは代表的なアイテムをチョイスする。単品の魅力よりも、ブランド・イメージを重視する。ただ、これは厳密にいうと「品揃えの発想」というのが、先の指摘である。
 モノの魅力を突き詰めていけば、単品の力がセレクトショップの生命線である。単品にこだわり、単品がもつストーリーに共鳴する。セレクトショップは増えても、こうした考えを貫く店は少ない。いま一度「セレクト」を吟味してはどうだろう。

2007/12/06

蘇れ!メンズ・ファッション カジュアルの中身を再考する

 考えてみればメンズ・ファッションは、もう何十年も前から「フォーマル」と「ビジネス」「カジュアル」で分類されてきた。そして時代はカジュアルに向かっており、フォーマルはともかく、ビジネスウエアのシェアは確実に漸減しているのが実情である。
 しかし、これはアイテムの話であって、購入目的がカジュアルに集中しているのか、といえば疑問である。デザインをみれば確かにカジュアルなものが増えている。だが、その用途がオフ・ビジネスなのか、といえば、必ずしもそうではない。
 例えば男性の通勤着をみても、すべての人がスーツを必要としない。職場にユニフォームがある場合は、ノーネクタイで通勤するほうが多い。この人たちにとっても、そのスタイルはオン・ビジネスである。自宅に戻れば普段着に着替えるはずだからである。
 また、こうしたケースも考えられる。目的がビジネスではないにしろ、あらたまった気持ちでカジュアルウエアを着ることだってある。プライベートなパーティに出かけるとか、クラブで遊ぶときなどは、アイテムはカジュアルでも、気分はフォーマルに近い。
 つまり、カジュアルアイテムの用途を細かくみれば、そこには歴然としたTPOが存在する。このTPOに応じて着分けているのに、業界のアプローチは「カジュアル=くつろぎ」に固まってしまう。ビジネスとカジュアルを対極的にとらえられることが多すぎる
 アイテムがもつ機能という点でみるならば、時代はまちがいなく軽装化しており、カジュアルアイテムのシェアが広がっている。しかし、だからといってオケージョンまでがカジュアルになっているわけではない。
 カジュアルウエアにも、フォーマルな場面があり、ビジネスシーンがある。また、オフ・ビジネスの場面にしても、そこでの世界は多様である。それはアウトドアとかインドアといった単純な図式ではない。
 もし、カジュアルシーンをセグメントするなら、それは気分のセグメンテーションなのだろう。もはや、アイテムだけで「ビジネス」と「カジュアル」と決めつけるわけにはいかなくなった。

2007/12/04

蘇れ!メンズ・ファッション ステーショナリーとしてのビジネスウエア

 東京・銀座の伊東屋といえば、文房具店としては珍しいぐらい、ストア・アイデンティティが高い。最近は文房具屋の地盤沈下が目立ち、ここでも外資系のカテゴリーキラーが躍進している。文房具は、もともと機能本位の商品だけに価格競争に巻き込まれやすい。
 ところが伊東屋は、決して高級品ばかりを扱っているわけではないのに、平日でも店内はにぎわいが衰えない。それも“買い物下手”といわれる中高年男性が多い、というのも興味深い現象である。
 その理由は、同店が単なる文房具屋に終わらない、ライフスタイル・ビジネスに徹した業態を指向している点にある。「仕事」というライフシーンを追究し、そこからビジネスを広げていく。
 店内には文房具のほかに、たくさんのホビー商品も置かれている。だが、同店によれば、これもオフィス・ライフの延長にある。仕事のストレスを和らげる、そんな目的から模型やゲームを扱っている。
 さて、わがメンズアパレル業界のオフィス・ライフはどうだろう。ビジネスウエアには、清涼スーツや形態安定、ウォッシャブルなど多様な機能がある。価格にも仕事着にちなんだ値頃感をもたせている。だが、どれも「オフィス・ライフの提案」には程遠い。
 ビジネスマンのオフィス・ライフを豊かにする生活提案の底が浅すぎる。単に機能開発にとどまらず、ビジネスウエアをステーショナリーの延長として考えられないものだろうか。
 少なくなったとはいえ、オフィスにいくと安物サンダルをパタパタさせている男性がいる。あの白い前明きのニットベストも何とかしたい。こうした傾向が何年も変わらずに存在することが不思議でならない。
 機能競争や価格競争も大事なことだが、オフィスの生活提案が欠落している。かつて「できる男の〇〇〇」という本が話題になったが、オフィス・ライフの研究は、市場活性化のためにも必要なテーマだと思うが、どうだろう。

2007/12/03

蘇れ!メンズ・ファッション  味出しのテクニック


 くどいようだが、メンズ・ファッションの妙味は微差にある。微妙な加減が服を、上品にしたり、下品にしたりする。この微差がもたらすテイストを、どう見分けるか。プロならば、このぐらいの力量が必要となる。だが、現実には驚くほど少ないのが実情である
 この微妙なテイスト、つまり画一的な商品で“微妙な独自性”を出す。そのためには、もっとジーンズを研究すべきである。「メンズ・カジュアルの原点はTシャツとジーンズとスニーカー」という説がある。
 どれもオリジナリティが出しにくいほど、デザインが似かよっている。このアイテムで優劣を見極めるポイントは、商品に対する精通力である。酷似した中から“優れモノ”を抽出するのは難しい。それには卓越した知識と感覚が求められる。
 このTシャツとジーンズとスニーカーを、目隠し状態で見分けをする。これができればバイヤーとして一人前に扱う、という店がある。裏を返せば、そのぐらい見分けがむずかしいアイテムなのである。
 そのジーンズから学ぶべき、という根拠は、こうである。
 いまやジーンズの“新品”を扱うブランドは少数派といえ、多くは何らかの加工をほどこしている。ストーンウォッシュにはじまり、ダブルウォッシュ、ブリーチアウト、ケミカルウォッシュ……最近はバイオウォッシュも開発されている。
 つまり、糊のきいた“ノンウォッシュ”は、もはや希少商品に属し、売り場に並ぶジーンズは、ほとんどが加工済み。そして、この加工品こそがジーンズの付加価値であり、もっといえば各ブランドは加工の開発に注力している。いわゆる、これがジーンズの味出しである。
 かつてジーンズの味出しといえば、着用者すなわちユーザーが、ブラシを当てたり、ヤスリで擦ったりしながら、独特の着古し感をつくっていた。それをメーカーが代行する形で売り出し、今日に至っているのが一連のウォッシュ加工である。
 この着古し感覚は、ジーンズだけでなく、もっと広がってもいいように思うが、どうだろう。綿ギャバのトレンチコートは、よれた感じが命といわれる。ブルゾンにしても、襟先が反り返った感じ。そんな味出しのサービスが増えれば、画一的なメンズウエアのテイストは広がっていく。
 業界人が“味出し”をめぐって、熱っぽい意見を交わす。カジュアル化とは、そんな時代である。それには微差を見極めるプロの存在が欠かせない。

2007/12/01

蘇れ!メンズ・ファッション 顧客拡大になるスラックス

 これはニワトリと卵の関係に似ている。日本人はスーツが好きだから、単品のスラックスが売れない。そして売れないから、スラックス売り場は地味になる。売り場が地味になれば消費は停滞する……。もう、何十年もスラックス市場では、こうした状況が続いている。
 だが、ある専門店の首脳は「売り場がスラックスを苦手にしている」と指摘する。なるほど考えてみれば、スラックスは単価のわりに人手がかかる。安いものなら4000円か66000円、高くても2万円台というのがスラックス価格の相場だが、それにもかかわらず販売時の手間は、スーツと変わらない。
 フィッティングルームで試着し、裾上げのピンを打ち、加工伝票を書いて、加工所に回す。これら一連の作業はスーツと同じである。これだけの手間をかけながら、価格はスーツの3分の1以下である。販売効率を考えれば、スラックスを敬遠したくなっても不思議でない。
 一般的にメンズ売り場におけるスラックスの販売シェアは10%以下といわれる。バーゲンセールを除けば5、6%程度という売り場が少なくない。だが、先の首脳は「スラックスの販売比率を10%以上にしなければ販売力はあがらない」と断言する。その根拠は、こうである。
 スーツとちがってスラックスは“衝動買いのアイテム”である。このあたりはシャツやニットと同じで、フリ客(一見客)が多い。だが、試着をはじめ接客サービスでいえば、シャツの何倍も時間がかかる。つまり、それだけ客とのコミュニケーションがつくれるということで、フリ客を固定客につなげる重要なアイテムになる、というのである。
 試着時の声掛けで、さりげなく職業を聞いたり、店の特徴を投げ掛ける。そのやりとりで客のイメージは変わる。
 「意外と感じがいい店なんだなァ…」
 こうした印象づけができるのもスラックスならではの特徴である。さらに裾上げ伝票には、名前や住所が書き込まれ、自動的に顧客リストが出来あがる。これはシャツやニットにはない副産物である。
 「だから、スラックスを粗末にする店に未来はない、と言っているんです。固定客を広げるキーアイテムがスラックスなんです。『売れた』と『売った』の目安は、スラックスの販売シェアにかかっている」(前出の首脳)

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