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2007/10/31

蘇れ!メンズ・ファッション 変遷 ドレスコードの確立

 ファッション・マナーを多くの若者が学習した--。ビジネスウエアと普段着しかなかった日本に、欧米のドレスコードを普及させ、ファッションのマナーを教えたのも、当時のヤングマンメーカーであり、なかでもヴァン・ヂャケットは多大な功績を残した。
 その“教育手法”は、単行本であったり、ファッション雑誌であったり、ときにはテレビを使う……といったぐあいに、いまから40年近くも前に、メディアミックスを駆使して行われた。
 その基本は「時と場所と状況(タイム、プレイス、オケージョン=TPO)に応じて着装する」というルールである。それを高校生や大学生に向けて提唱したのである。今風にいうならスノーボードやコンピュータを覚える。そんな新しい遊びに熱中する若者、という感じでTPOを受け入れた。一例をあげれば、それはこんな内容だった。
 「あらたまった場所に出るときには、明るい色調を避ける」
 「ボタンダウンはスポーティなので、フォーマルには着ない」
 「ベストを着るときは、ベルトのバックルを見せない」
 「靴にもTPOがあり、状況に応じてデザインを変える」
 このほかにも「ウェルドレスのための服装術」が紹介され、ストライプ・オン・ストライプやチェック・オン・チェックには、高度なウエアリング・テクニックが必要になる、といったような着装論も提唱された。いまでもフレッャーズ・シーズンになると、ファッション誌の多くがとりあげる服装術のルーツが、ここにある。
 ファッションにとってメディアの果たす役割が大きいことは、いまでは周知のことだが、アパレル産業が勃興したばかりの60年代に、ヤングマンメーカーは自社商品のPRにメディアを使っていた。
 それだけでなく、ウエアリング・テクニックを高めるためにTPOキャンペーンが、これまたメディアとのタイアップで行われていた。成熟した昨今のファッションビジネスでは考えられないことだが、こうした啓蒙活動がファッション意識の変革をうながしたことは、忘れてならない事象である。

2007/10/30

蘇れ!メンズ・ファッション 変遷 ファッションの教祖


 「私は流行ではなく、風俗をつくる」--。
 これは石津謙介氏の、いまでは格言のようになった有名な言葉である。アイビーブームの仕掛人として石津氏は、ファッション・メディアだけでなく、多くのマスコミからも「時の人」としてもとり上げられた。そこで発したコメントが、冒頭の発言であり、アイビーファッションを流行ではなく、ライフスタイルとして定着させたい。そんな思いがこめられていた。
 既製服時代を迎えたとはいえ、日本のファッション文化、ことに洋服文化は白紙に近い状態だった。そこでアイビーファッションを一過性の流行に終わらせたら、日本の洋服文化は遅れたままになってしまう。それには、ライフスタイルに合わせたファッション、いわば欧米先進国の「ドレスコード」を、いかにして定着させるか。ここを優先しなければならなかった。
 石津氏は、ヴァン・ヂャケットの社長として商品開発の陣頭指揮をとる一方、マスコミに向けてはドレスコードの普及を訴える“伝道師”の役割を担った。「コーディネート」という言葉がなかった時代に『いつ、どこで、何を着るか』、今日でいえばTPOの基礎をアピール。あらゆる機会を通じて“服装術”を喧伝した。
 ファッションビジネスとは、素敵な生活を発見し、それを伝え、実践できるよう導く仕事である。ただ、新しいスタイルをつくり出すだけなら、それはパターンビジネスにすぎない。このファッションビジネス論を、いまから40年前に石津氏は具現した。
 ファッションをビジネスだけでなく、ライフスタイルとして広げるために日本メンズ・ファッション協会(MFU)を設立、自らがリーダーとなって「TPOキャンペーン」を打ち出したのも60年代前半である。

2007/10/29

蘇れ!メンズ・ファッション 変遷 カリスマの幕開け

 60年代は、ファッションビジネスにおける新機軸が続出した時代でもある。テーラー、つまりオーダーメードが主流だった50年代までは、紳士服小売店の業態は「洋服」と「洋品」が核となっていた。
 オーダーを扱う洋服店は、スーツやコート、それにジャケットといった重衣料が中心。一方の洋品店では、シャツ、セーター、ネクタイなど中軽衣料を主力に扱い、スラックスだけはオーダーか既製服かで業態が分かれた。
 この洋服と洋品の業態区分は、今日のメンズアパレルの業界構造にも引き継がれ、重衣料を主力にする企業群と、シャツやニット、ネクタイなど中軽衣料を中心にする企業群に大別される。年追うごとに両者の境界がクロスオーバーされてきたが、レディスに比べるとメンズのほうに“専業”が多い。その背景には、こんな歴史も要因になっている。
 さて、60年代にインディーズ旋風を巻き起こした三つ文字ブランドは、この小売業態にも革新をもたらした。その典型が「ハコ型売り場」である。
 洋服と洋品でトータル・コーディネートを提唱した三つ文字ブランドの多くが、ワンブランドショップを開設した。ここでも新業態を開発したのはVANであり、JUNだった。
 とくにヴァン・ヂャケットの業態開発で注目されるのは、60年代にフランチャイズ・チェーン(FC)を打ち出した点である。それも販売代行ではなく、加盟料をとってのFC化は、今日でもファッションビジネスでは珍しい。そんな大胆なアイデアを60年代に実践したのである。
 ちなみに当時の「VANショップ」にも、いまでいうカリスマ販売員が沢山いた。まるで雑誌から抜け出たような最新モデルに身を包み、豊富な商品知識で顧客を“育成”した。これはVANに限らず、その後、オンリーショップを広げたJUNにしても、そのほかの三つ文字ブランドも追随。言葉こそなかったものの、このカリスマブームもヤングファッションに勢いをつける要素の一つとなった。

2007/10/25

蘇れ!メンズ・ファッション 変遷 三つ文字ブランド

 団塊の世代は、その数およそ1000万人にのぼる。人口の1割近くを占める“グレートユーザー”が、ちょうど高校生になりはじめた1960年代は、日本にヤングファッションが萌芽した時代といえる。
 前髪を長めにしたショートカット(クルーカット)に、ボタンダウンシャツ、生成りのコットンパンツ、足もとはローファー(スリップオン)でかためる。これが当時の流行スタイルである。
 それまでのポマードにかわって、整髪料にリキッドが加わり、理容店にしかなかったドライヤーが家庭に持ち込まれた。そんなライフスタイルの変化にメディアも呼応、64年には新しいメンズマガジンとして「平凡パンチ」が創刊された。
 そこでニューシーンをつくったのが「VAN」であり『JUN」だった。このヤング旋風によって増殖したのが、ヤング向けのブランドで「TAC」『JAX』『BOX』『ACE」……といったように、アルファベット三文字を並べたブランドである。
 考えてみれば、ファッション・ブランドが大衆向けに使われるようになったのも、これら三つ文字ブランドが端緒といえる。それもメンズウエアが先行していた。
 どれにも共通していたのは、その多くがトータル・コーディネートで商品をまとめたこと。それまでは特定アイテムにマトを絞った専業アパレル企業が主流たったが、三つ文字ブランドは、そのほとんどがテーラードウエアからカジュアルウエアまでを、一つのブランドでラインアップした。
 ファッションの装い方を教え、ヘアスタイルを含めたトータル・コーディネートを提案した、当時のヤングブランドは、まさに生活提案型のビジネスを実践した。ちなみに、小売店で注目される「ハコ型売り場」も、すでにこの時代に存在していた。
 しかし、団塊の世代をターゲットに市場を広げた三つ文字ブランドも、70年代を迎えたあたりから様相が変わり、逆風に耐えられず淘汰するブランドが目立ちはじめた。いわゆるヤングマン・ブームの終えんである。

2007/10/24

蘇れ!メンズ・ファッション 変遷 リーダーの時代

 かつて日本のファッション市場は、メンズウエアが主役だったことは、前に記したデータが物語っている。1962年の商業統計で、専門店における男女差は2倍。もちろん、ここではメンズのほうが上だった。
 日本でレディスアパレルが市民権を得たのは第二次大戦後のことで、それまでは和装のほうが多かった。それに対してメンズウエアの洋服化は、さかのぼれば明治時代、そして昭和初期にはサラリーマンの多くが背広を着ていた。それが先のデータにあらわれた、ということになる。
 まだ、メンズ市場のほうが大きかった1960年代は、日本の既製服産業が勃興した時代である。それまで主流となっていたオーダーメードから、まだ「安物」のレッテルが貼られていたとはいえ、既製服が急速に普及したのが60年代である。
 「吊し」「首吊り」と蔑視されていた既製服だが、ここに新風を送り込んだのがヤングブランドだった。1950年代に設立したニューシーン・メーカーのヴァン・ヂャケットとジュン。この両社が仕掛けたアイビーブームが既製服のポジションを一変させたのである。
 なかでもヴァン・ヂャケットの活動には注目すべき点が多く、ファッションビジネスのルーツともいえるアプローチが、じつは50年代から行われていた。
 その一つがファッション雑誌とのタイアップで、同社は「メンズクラブ」の前身である「男の服飾」の誌面で、アメリカ東部のキャンパス・ファッションをとりあげ、アイビーファッションの提案を続けた。
 まだ、多くの人々が既製服に偏見をもっていた頃から「VAN」は、既製服をベースにしたトータルファッションを、メディアとのタイアップで啓蒙。それがしばらく続いた結果、アイビーブームとして開花した事実は驚嘆に値する活動である。

2007/10/23

蘇れ!メンズ・ファッション 不思議な大人服

 大人のメンズ・カジュアルは静止したまま……。日本のファッションは、他の先進諸国とちがってヤング世代に集中していることは、前に述べた通りである。だが、メンズウエアの、それも実年市場の「シニア・カジュアル」は、まるで時が止まったように、時代の進化を拒否し続けている。
 周知のように高齢化社会を迎えた日本では、団塊の世代が「高齢新人類」と呼ばれ、新たなマーケットとして実年市場が注目されている。それでいながら、実年市場の実態は、昔ながらのシニア・カジュアルが主流を占め、団塊の世代の参入を阻んでいる。
 もちろん、実年市場にも時代性があるにはある。デザイナーブランドに代表される、プレステージゾーンにいけば流行を享受することはできる。だが、ファッション・テーストがあって、しかもリーズナブルな価格のカジュアルウエアをさがすとなると、骨が折れるのも事実である。
 こういうと「そんなにテーストを求める実年はいない」との反論があるかもしれない。確かに団塊の世代といえども、かつてアイビーブームを支えたパワフルな消費は、どこにもみられない。
 彼らのワードローブといえば、ホワイトカラーならスーツとゴルフウエア、それに家で着る日常着があれば済んでしまう。これをみるかぎり、それまでの実年層と変わりがない。しかし、だからといって潜在ニーズがない、とは言い切れない。
 すでに趣味の世界では、高齢新人類のニューマーケットが広がりつつある。青春時代に失っていた音楽やスポーツ、芸術に再挑戦する。そんな実年が増えている。これはファッションにも通じるニーズである。
 「ニーズがない」から提案する。ヤング層が追随しにくい、大人のカッコ良さを、シニアは求めている。ここにもメンズ市場のすき間がある。

2007/10/22

蘇れ!メンズ・ファッション 日本の“偏食ぶり”

 日本のメンズ・ファッションは、やはり変である……。欧米先進国でファッションの“主役”といえば、それはアダルトである。高額な有名ブランドを高校生が身につける。こんな現象は欧米ではありえない。仮にいたとしても、それはレアケースである。
 世界が同時進行するファッションだが、それでも日本ならではのローカル性が随所に顔を出す。メンズ・ファッションでいえば“スーツ集中化”も、その好例である。
 先進国のアパレル販売量をくらべてみると、日本のメンズスーツは異常なほどの売れゆきを示している。
 前出の「Wool Facts」で先進国のスーツ消費を比較すると、販売量を人口で割った指数は、日本がトップ。人口百人当たりの年間販売量は、日本が14着。2位のイタリアが7着で、もっとも少ないフランスは3着でしかない。欧米でスーツ好きといえるイタリアの2倍、フランスとは5倍近くの開きがでる。
 それとは逆にジャケットは、アメリカが1位で同190着。つまり1人が2着ぐらい買っている勘定になる。2位のイギリスが100着(1人1着)で、日本は50着。イギリスの半分、アメリカの4分の1でしかない。
 日本はスーツが売れるから、ジャケットの売れゆきが鈍る。これはスラックスも同じで、スラックスも先進6か国(日・米・英・仏・伊・独)で日本は最下位の水準。日本は、世界で一番スーツが売れる国なのである。
 その日本でスーツが価格破壊に見舞われている。一説によればスーツの販売シェアは、ロードサイド紳士服店が50%以上にもなっている。世界で一番“スーツ好き”な日本で、スーツが価格破壊の先鞭をつけた、というのも皮肉な話である。
 それだけではない。このスーツに偏った消費が、日本人のファッション化に大きな障害をもたらしているのである。
    [国民1人当たりのスーツ消費]
      日本     0.14着
      フランス   0.07着
      アメリカ   0.06着
      イギリス   0.06着
      ドイツ    0.04着
      フランス   0.03着
        (1993年 Wool Facts)

2007/10/17

蘇れ!メンズ・ファッション 「価格」の男女差

 いま、時代はジェンダーレスに向かっている。ファッションにおいて性差は、どんどん縮まり、男服と女服の壁が消えようとしている。だが、そんなジェンダーレス時代にも、男と女の違いは歴然。「どうして、こんなに違うのか」と不思議に思える事象が少なくない。
 その一つが価格である。最近は全国各地にアウトレットモールが生まれ、ファッション消費に新しい世界が加わった。ブランド品が安く買える。もちろん、そこで売られる商品は新古品だが、それでも価格の魅力は大きい。そんなプライスバリューがアウトレットモール人気につながっている。
 だが、過去を振り返ってみると、ファッションビジネスにおける低価格戦略は、メンズウエアに一日の長がある。なかでもテーラードウエア、いわゆるスーツは価格戦略に明け暮れた。そのくらい、価格がクローズアップされてきた。
 いまから四半世紀前の1970年代半ばにも、大規模な価格破壊がメンズ業界を揺るがした。オイルショックを契機に消費が低迷、インフレが進行していた頃、流通卸センター(ROC)が大躍進を遂げた。
 都心部に、格安スーツを主力にした店舗を矢継ぎ早に出店。百貨店の半値以下で揃えた売り場は、あっという間に話題を独占。対抗する紳士服専門店も「もう1着タダ」という新手のキャンペーンを打ち出した。1着の値段で2着が買える。カテゴリーキラーのルーツともいえる現象である。
 それから10年後の80年代後半、こんどは「洋服の青山」に代表されるロードサイド型の大型専門店が、やはり低価格戦略でメンズ業界を揺さぶった。こんどはスーツだけではなかった。ジーンズショップも、そしてカジュアルショップまでもがロードサイドビジネスに参戦した。
 しかし、ここでもリードしたのはメンズで、レディスウエアの世界からロードサイドが生まれにくい。値段に敏感なはずの女性に、このロードサイド型ファッションは支持されないでいた。あるのは、ほとんどがメンズウエアを主力にした業態である。考えてみれば、これも不思議な現象である。

2007/10/16

蘇れ!メンズ・ファッション 「女高男低」の怪(2)

 ファッション消費における男女格差は、大人になるほど広がっている。ウールマーク・カンパニーがIWS時代にまとめた「Wool Facts」をベースに試算してみると、欧米先進国でアパレル消費の男女差は、平均1対1.8の水準である。
 もっとも少ないのがイタリアの1対1.3。その差は3割でしかない。それとは逆に差が大きいのがフランスで、そこでは1対2。それでも日本の3倍にはならない。これをみても日本の消費格差は異常である。
 では、どこで、これほどの差がついてしまったのか?確たる証拠はないが、アダルトほど男女差が大きいのでは……。そんな仮説を立ててみる。
 それには消去法で分析するのが手っ取り早い。まず、ベビー・子供の世界。ここで女児服が3倍も売れるとは考えにくい。では、ティーンズはどうか。この辺りの世代になると、女子のほうがアパレル消費は多いのかもしれないが、それでも「割」の単位で「倍」にはならない。
 そうすると18歳以上、つまり高校を卒業したあたりから差が広がる、という仮説が成り立つ。だが、街の光景をみていて分かるように、20代男性のオシャレ意識はかなり高い。そのことは男性向けのファッション誌が証明している。世界を見渡しても、男性向けファッション誌が日本ほど多い国も珍しい。それだけ読者が多い、ということである。
 そうすると残るのはアダルト、つまり格差の元凶は中高年男性であり、この世代が女性との差を広げている。ここに問題があるとしか考えられない。
 ネクタイ族のサラリーマン、それも40歳を越えると、都心にいても「オシャレだな」と思える男性は少ない。大半は作業着のようにスーツを着込み、ネクタイの柄すら覚えていない。そんなタイプが主流を占める。
 ちなみにファッション誌を分析すると、アダルト向けの男性ファッション誌は一つか二つ。よほどファッションに関心がないかぎり、読者とはなりえない。そんな男性がアダルトファッションを支えて(?)いるのである。

2007/10/15

蘇れ!メンズ・ファッション 「女高男低」の怪(1)

 メンズウエアの消費は、まだまだ掘り起こせる!
 いま、日本のファッション消費は、男性を1にすると、女性は3。つまり、レディスウエアが3倍のマーケットをもつ、ということになる。洋の東西を問わず、女性のほうがオシャレに関心がある。だからレディス市場のほうが大きい。ここには何ら問題がない。
 だが、注目すべきは、その中身。3割や5割の差ならうなずける。百歩譲って、2倍でも理解しよう。でも、3倍の差はオカシイ。そこに問題を感じるべきである。
 生態学でみれば、動物の多くは雄のほうが装飾的である。日本でも、かつて男のオシャレには、目を見張るものがあった。「伊達(だて)」「鯔背(いなせ)」「粋(いき)」という形容は、当時の洒落男を指していた。それが今は雲散霧消。若い男性はともかく、中高年の男性は、その多くが背広漬けになっている。
 そこでデータで検証してみる。商業統計によると1962年の専門店(織物・衣服・身の回り品小売業)のうち、メンズショップ(男子服小売業)の店舗数は約3万店。これに対してレディスショップ(婦人・子供服小売業)は1万5000店。販売額も2000億円と1000億円で、メンズのほうが多かった。
 それが35年経った97年のデータで両者の勢力は、レディスショップが約9万店で、メンズショップは約3万店。販売額のほうも、約6兆円に対して約2兆円。どちらにも3倍の差が生まれている。
 高度成長経済がスタートした日本で大躍進を遂げたのはレディスの世界であり、メンズは専門店の数で2000店増えただけ。販売額も10倍しか伸びていない。レディスの広がりとは雲泥の差である。このあたりを、どう受けとめるべきか……。どうみても、この偏りは不自然である。

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